玉口君が近所の会社にいると知ってから、しばらくが過ぎた。
連絡を取り合う回数は増えたし、彼からあれこれ質問を受けるようにもなった。
『確定申告、どんな準備してますか?』
『今度の勉強会なんですけど、行くか迷ってて……』
『この本面白かったです。似たような本、知ってますか?』
だいたいこんな感じだけど、私には分からない点もある。
だから先輩でもある木下さんをちゃんと紹介して、もし複雑で分からないことがあればそっちにお願いするようにしてもらった。
でも玉口君から頼られるのは、何だか後輩がまた出来たみたいでとても新鮮だ。
それに木下さんも玉口君に頼られて、ちょっと嬉しいみたい。
「webマネジメントをメインにしてるフリーランスの人紹介したら、メチャメチャ喜んでくれてさ。後輩が出来ること少ないだろ? 俺もう、鼻高々よ」
嬉しそうに語ってくれるのを聞くと、私まで褒められたような気持ちになる。
「ふふ、よかったなぁ」
思い出し笑いをして、すぐにここが『スーパーの野菜売り場』であることを思い出す。
慌てて周りを見ると、バチンッと1人の女性と目が合った。
思わず、声に出して謝ってしまう。
「す、すみません」
「いいえ……こちらこそ、申し訳ないです。あの」
「はい?」
こちらを見つめてくる女性は、ふんわりとした栗色の髪で、とても可愛らしい印象を受ける人だ。見覚えはないけれど……一緒にいると安心できそうな顔立ちをしている。
おずおずとした様子で、彼女が問いかけてきた。
「ひょっとして、優美さん、ですか?」
「ええ、そうですが……あなたは?」
すると、彼女がほっとした様子で微笑む。
「よかったぁ。実は3ヶ月だけ、優美さんの後輩だった春香と言います」
「春香? ……ひょっとして」
一番最初に勤めていた会社の名前を出すと、春香さんが頷く。
「そうです! 事務として勤めたのは、優美さんが退職される3ヶ月前からだったので、あんまり話す機会もなくて、私が一方的に覚えていただけなんです。全然気にしないでくださいね」
「お気遣い、ありがとうございます。覚えていてくださって、すごく嬉しいです」
「いえいえ。あの……凄く、優美さん、カッコよくて、憧れてたんです」
思っても見ない言葉に、心の底から驚いた。
春香さんは事務として勤めるのは初めてで、そんな時に私は一部だけ仕事を教える側として関わった。そこで私が仕事をする様子や、仕事を終えた後に勉強会へ行く姿を見て、とても感動したという。
「それまで仕事って、言われたことをミスなくこなすことが大事って、そんな風に考えてたんです」
でも私の姿を見ていくうち、あることに気が付いたそうだ。
「仕事をしている時間も、自分の時間なんだって実感したんです。だから自分のためになることを仕事中にしていこうって思えるようになって……そうしたら上司からも褒められるようになって、すっごくモチベーションが上がりました! 本当に、ありがとうございます」
たしか、そのころにはもう、次の仕事のために勉強をしていた時期だったはず。だから勉強会に参加したり、仕事中に他の職種の人と話す機会があればそこで情報を仕入れたり、精力的に活動していた。
でも、こんな風に誰かのあこがれに私がなるなんて、思っても見なかった。
「こちらこそ、ありがとうございます」
思わず私はそう言って、頭を下げていたのだった。