みんなでご飯を食べた日の後のこと。
いつも通りに仕事を終えたところに、突然プライベート用のLINEアカウントへ着信があった。
「あれ、篠田さんだ」
かつて勤めていた会社の先輩。篠田さん。
仕事の紹介をもらうこともあるけれど、プライベートで連絡を取ることはそこまで多くない。
「もしもし、篠田さん?」
『あ、良かった。……ちょっと話してもいいかな』
「大丈夫ですよ」
飼い猫のピケを膝上にのせながら、篠田さんには見えないけど、思わずスマホを持ったまま頷く。
「何かあったんですか? あ、新しい仕事とか」
『いや、そうじゃないんだけどさ』
「というと……」
『……あのさ。彼氏っているの?』
思いがけない問いかけだった。
「えっ……?」
『そのままの意味』
「え、いや、あっ。アンケートか何かですか!?」
『いや。本気で聞いてる』
突然過ぎて、目の前がちかちかとする。心臓がバクバク鳴り響いて、耳がキーンと痛くなった。
「な、何で急に」
『みんなでご飯食べただろ?』
「はい……」
『なんか、焦った』
焦った、という言葉の意味を考える。
あの日は大学の後輩だった玉口くんや、フリーランスとしての先輩にあたる木下さん、そして篠田さんと一緒にご飯を食べた。
別に変なことが、あったわけじゃない。
恋人の話になったわけでもない。
木下さんが家の近くまで送ってくれたけど、あれは木下さんと電車の方向も降りる駅も近いからに過ぎないし。
「か、彼氏は、いないです」
『……俺って、候補になる?』
そう聞かれて、胸の内がぎゅっと苦しくなった。
何だかわからないけど、泣きそうな気持になる。
「それって……篠田さんの都合ですよね」
『……そうだね』
「私、今、仕事が楽しいんです。フリーランスになってよかったって、そう思えてます」
『うん、わかる』
「きっと篠田さんにも、それが伝わっていると思ってた」
何だろう。
期待していたプレゼントが入っていなかった、クリスマスの朝のようながっかりした気持ち。
失礼だと分かっていて、でも。
言葉が止まらなかった。
「私と、もっと、ちゃんと篠田さんとして話して、仲良くなってから聞いて欲しかったです」
『……ごめん』
私の中にあった、先輩としての篠田さんのイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。
いい意味でも、悪い意味でも。
『じゃあさ。ただの篠田だったら、どう思う』
「……え?」
『ただの俺なら、まだ、恋人になるってこと、考えてくれる?』
何もかもが壊れたところに、そんな言葉が投げ込まれるなんて。私は返す言葉を文字通り失い、返事が出来ずに立ち尽くす。
「分からないです……」
正直にそう返すと、篠田さんが頷く気配があった。
『そうだろうね』
「なんでそんなに焦ってるんですか?」
『……実はさ。今度、仕事でベトナムに単身赴任するんだ。向こうでサービス立ち上げるんだけど、そのサービスのWeb関連の管理をしに行くんだ』
「えっ」
乾いた笑い声が聞こえた。
『たしかに、ネット通じて話せるし、こうして電話もできるけどさ。やっぱり。同じ国に居るから伝わることって、あるじゃん』
「……分かりました」
『え?』
「ちょっとだけ、考えます」
気が付いたら、そう話していた。
寂しかったのかもしれないし、篠田さんの自信なさげな声を聞いていられなかったのかもしれない。
でも。
「私もちゃんと、未来のこと考えたいので。その1つに、篠田さんのこと、入れてみます」
『……うん。ありがとな』
3月には旅立つのだと言って。
そうして、篠田さんからの電話は、切れたのだった。